細胞を優しく包括・培養・回収できるハイドロゲルをドロップレットに

細胞や微生物を扱う研究にとって、いかにいい状態でそれらを培養し分析するか、膨大なデータを集めていかに効率よく、できれば低コストに処理するかは大きな課題だ。株式会社オンチップ・バイオテクノロジーズの独自の使い捨てマイクロ流路チップは、直径20~100μmのドロップレットを安定かつ均一に作製し、その中に細胞や微生物を封入することで極小の反応系を作ることを可能にし、その課題解決に大きく貢献している。さらに、いったんドロップレットに封入した生体物質を損なうことなく、後から取り出して観察・分析できないか、ドロップレットそのものに機能を持たせることはできないかといった進んだニーズも出ている。そこに応える技術開発が九州大学大学院工学研究院応用化学部門の神谷典穂教授との共同研究で進められている。大きな飛躍をもたらすであろう鍵になるのが神谷教授の開発したハイドロゲルだ。その95%が水分のハイドロゲルは、酵素による触媒反応によって高分子をつないでゲル化させており、化学薬品や熱などによる物理的な処理を行わないため、封入する生体物質にダメージを与えない“優しい”コンパートメントとなり、還元条件下で容易に崩壊するため“優しく”取り出すことも可能である。ドロップレットによるスクリーニング技術をさらに前進させる“優しい”ハイドロゲルについて、神谷教授にお話を伺った。

九州大学 大学院工学研究院応用化学部門 神谷典穂教授

酵素の触媒反応でダメージレスなハイドロゲルに

── 酵素を使ったハイドロゲルとは、どのようなものなのでしょうか。

地球上のあらゆる生物が体内に酵素を持っていて、酵素の働きがなければ私たちは生命活動を維持できません。酵素はタンパク質でできた触媒で、分子設計によってタンパク質やDNA、薬剤など様々なものを触媒の対象にすることができます。ハイドロゲルの作製に使うのは西洋ワサビペルオキシナーゼ(HRP)という酵素で、フェノール誘導体の酸化的カップリング反応を触媒する働きをしています。通常、HRPの活性には過酸化水素が必要となりますが、細胞やタンパク質に対して毒性があります。そこで、フェノール誘導体とチオール誘導体間のラジカル転移反応を仲介することで、過酸化水素を添加する必要のないハイドロゲル作製法を開発しました。チオール基を修飾した高分子、HRP、フェノール誘導体のそれぞれの水溶液を混合するだけ、というとてもシンプルな方法です。酵素の量や種類、フェノールの形を変えればゲル化のスピードなど様々な制御ができるため、多様なハイドロゲル、多様な作製プロセスが可能になると考えています。また、チオール基を有する機能性分子を容易にゲル内に組み込めるので、意図した機能を持ったハイドロゲルを作ることも可能です。

化学物質を使わず、熱も加えずにゲル化できるので細胞に優しく、居心地のよい環境を作ることができ、より生体内に近い環境を提供できます。また、従来の化学的、物理的に作ったゲルではいったん細胞を包括すると後からゲルを壊して細胞を取り出すのはダメージが大きいために困難でしたが、私たちの酵素を用いたハイドロゲル化では高分子間の架橋点がジスルフィド結合から形成されるため、還元条件下での分解が可能で、簡単に壊せるのが大きな利点です。これにより、ゲルの中に入っている細胞にほとんど影響を与えることなく出し入れが可能になりました。この仕組みがオンチップさんの目に留まり、共同研究を開始することとなりました。

私自身、ハイドロゲルによるコンパートメントを作ることに注目して、ハンドリングしやすいように1ミリくらいのゲルボールを作ってはいましたが、マイクロ流路を使って直径数10μm程に小さくする技術は持っていませんでした。マイクロリアクター系は私の研究室でも以前、助教さんがトライしていたことがあるのですが、すごく苦労していたのが印象に残っていて、ハードルが高いものと決めつけていたのですね。ところがOn-chip® Droplet GeneratorやOn-chip®Sortは操作が非常に容易で、研究室の学生もすぐに扱えるようになったのを目の当たりにして、私のマイクロリアクターに対するアレルギーは完全に払拭されました。直径数10μmのハイドロゲルビーズを容易に作製できることで、様々な可能性が大きく広がると考えています。

── どのようなことが可能になるでしょうか。

ハイドロゲルビーズは様々な工夫を入れやすいので、蛍光着色のハンドリングも容易ですし、代謝物質を捕捉するような機能を付けることもできます。言うなれば高機能なゲルビーズにカスタマイズすることができるので、基材や仕組み等のアイデア次第で様々な設計が可能になります。またハイドロゲルビーズを壊して、ゲルビーズ中にいる細胞を取り出すことが容易にできることも特徴の一つになります。もちろんアガロースはアガラーゼ、ゼラチンはペプチターゼで壊すことができると思いますが、前者は酵素の添加量や反応時間の調整が必要で、後者は細胞への影響も多少なりともあると考えています。一方我々はアミノ酸の一つであるシステインを使いますので、細胞への影響は少ないと考えています。このシステインをマイクロウェルプレートの培地に少量混ぜておくだけで、手軽にゲルビーズを壊すことが出来ます。この点は、オンチップさんがこれまで使ってきた物理的なゲルでは特に実現が難しかったところでしょう。

“優しい”高機能ゲルビーズがもたらす異分野融合

── オンチップ社とは共同研究を始められたとのことですが、各々のハードルを越えたものになるのですね。

産学の異分野融合研究ですね。大学では、研究活動を通した学生の教育をする中で新鮮なことや意外なことが起きる、それがアイデアの素になるのが「学」ならではの強みの1つだと考えています。HRPを用いた過酸化水素フリーなハイドロゲル化も学生の思わぬ発見から生まれたものでした。また、私たちは材料というソフトを手がけ、「産」のオンチップさんからハード面の新しい発想や提案が出てくることで、ハード+ソフトという異分野融合に期待しています。5月にオンチップさんでウェビナーを行わせて頂きましたが、それをご覧になっていた金沢工業大学の町田雅之先生から「使ってみたい」という連絡をいただき、異分野融合のさらなる広がりを感じました。私たちはいかに細胞に優しく、研究者が制御しやすいゲルを作るかというエンジニアリングの立場ですから、いろんな方にいろんな形で使っていただけると嬉しいですね。異なる分野の研究者が出会うと何かが起きるものですから、もっと新しく多様なアイデアが生まれていくことになると良いなと思っています。

── オンチップ社とはどのように出会われたのでしょうか。

学会で私がハイドロゲルの発表をした際に声をかけていただき、ゲルをもっと小さくすることで広がる可能性を提案されました。学会ではそれまでも色々な方から声をかけていただくことが何度もあり、共同研究や異分野融合のマッチングの場として、オンサイトの学会は大切な場なのだと思いますね。もちろん、学生の成長やモチベーションアップにも学会発表の機会は欠かせません。コロナ禍でこういった場が失われていたことは、科学の発展にネガティブに働いたのではないかとさえ思います。

ハードとソフトが噛み合って進化分子工学の加速に

── 酵素を使った研究の魅力とは、どのようなものでしょうか。

あらゆる反応を触媒できるところですね。酵素はタンパク質ですからアミノ酸20種類の組み合わせでしかありませんが、100個並べば20の100乗と天文学的な数字になります。その中から選ばれた酵素が私たちの生活を支えているというのはロマンがありますし、それを操作すれば繋ぎ方のバリエーションも増え、多様な反応を触媒できるところが魅力です。進化分子工学分野では人工的に酵素を作る研究が進んでおり、その技術の1つに私たちのシステムを使えるだろうと考えています。ただ、ハードとソフトが噛み合ってこそという部分もあるので、オンチップさんの技術も重要になりますね。私もハードの部分があればこそ、安心感を持って学生たちと一緒に夢を追えます。

── 夢という言葉が出ましたが、今後の展望をお聞かせください。

細胞の環境に近い「場」を作ることがひとつの夢ですね。例えばハイドロゲルビーズの中にタンパク質や酵素を作る仕組みを入れて、その機能に応じて色が変わるゲルビーズを作ることができれば、オンチップさんの製品を使って求めるタンパク質が得られるような仕組みができるかもしれません。「誰でも手軽に進化分子工学」という世界になればいいなと思っています。

トランスグルタミナーゼという酵素を使った共同研究も進んでいます。今は、抗真菌活性を発揮する酵素を、脂質を使ってアップグレードするというアイデアから、全く新しいタイプの抗真菌剤の開発を目指しています。より高い活性を示す酵素のスクリーニングに、オンチップさんの装置を用いた系を使えるかもしれません。これらの研究の中には、学生自身の興味に沿った遊び実験や、学生とのディスカッションが発端になったアイデアが含まれています。

「学」でこそ生まれるアイデアとは

── 先生の研究室はアイデアで溢れているのでしょうか?

私は学生に「まず、一緒にやってみよう」と声をかけて、そこから出てくる色々なデータから、これは!というものを掬い取るのが、今の自分の役割なのかなと思っているんです。彼らが好奇心をもってわくわくできるような環境を作って、とにかく「やってみよう」と思える場を準備することが、フレッシュな発想(アイデア)の種を育てるために大切なのではないかと思うんです。そこでおもしろい、すごいと思った瞬間を共有できた学生は、博士課程まで進学する確率が高いように感じます。ハイドロゲルや色んなものを繋ぐ酵素のアイデアも、ひょんな失敗や遊び実験から出てきた思いがけない結果から生まれました。そもそも正解なんてありませんし、先入観に囚われず無心で頑張るからこそ生まれるものがある、それが大学の研究室の一番おもしろいところだと思います。学生たちが自分で考えて、失敗もして、その過程で見つけた「何だかおもしろそう」というアイデアを拾い上げて、学生のモチベーションに還元するエコシステムのようなものが成り立っているかもしれません。

── 神谷先生は、どのようにして研究者の道に進まれたのでしょうか。

僕はもともと昆虫少年で、幼少期は昆虫も両生類も爬虫類も、身のまわりの動く生き物はほとんど飼育して眺めるのが大好きでした。中学生の頃に遺伝子組換えなどのキーワードが世の中に出てきて、興味を持ってはいたのですが、父が北九州工業地帯の化学工場で働いている人で、小さい頃からよく工場に遊びに行ったりしていた影響もあり、九州大学の物質系に進学しました。研究室選択の時に、現在も一緒に研究室運営をさせて頂いている後藤雅宏先生が新進気鋭の助教授でいらして、「今からバイオやります!」と言われて、ピンときてその研究室に入りました。生物と化学がつながった! と思ったんですね。そこから酵素の研究を始め、いろんなことに驚いて、こんな世界があるんだと楽しくなりました。修士課程を終えたら化学会社に就職するのだろうと思っていましたが、M1の夏休みに卒業論文を英語にして投稿し、自分の名前が活字になったのを見て、初めて研究者という道を意識したように思います。油の中での酵素反応について学位論文を書き、油中で酵素が働くことを最初に発見したKlibanov教授が当時マサチューセッツ工科大学におられたので、とにかくその先生のところまで行ってみようと決めました。博士号取得の後、東京大学で助手として勤務させて頂き、日本学術振興会の海外特別研究員に採用されてMITに行きましたが、そこでボスに無理だと言われたら、研究者の道は諦めようと思っていました。とてもとても厳しいラボだったのですが、2年の滞在予定が1年で九州大学で働けることになり、そのことをボスに報告したら「えっ、帰っちゃうの!?」というリアクションをされ、研究者としてやっていけるかな、とようやく確信できたんです。その後はがむしゃらに頑張って、今に至っています。

── 「優しい高機能ゲルビーズ」は微生物や細胞の研究者への朗報となりますが、このような研究を目指す研究者や学生へメッセージをお願いします。

研究は本質的に楽しいものですから、楽しむ/おもしろがる力を付けることが大切だと思います。若い皆さんは与えられた研究テーマからスタートするでしょうが、いかに自分のアイデアを組み込めるかというところを楽しむ/おもしろがる力が支えになると思うのです。環境や人間関係も影響しますから、自分の殻に閉じこもらず、いろんな人と繋がったり、意見の違う人とのコミュニケーションも大切ですね。そして、チャンスが巡ってきた時に思いきってアクションを起こすことができれば、研究も自身の世界も広がると思います。それから、外国の親しい知人から、研究生活あるいは人生の中にはTeacher、Trainerがいて、最後にMentorが必要になると言われたことがあります。まずは自分の目指す港を見つけて、そこまで泳ぎ切る力を身につけて、そして、困った時に相談できて、助言をくれるメンターとなる人を見つけていただきたいですね。

── 神谷先生は、進路でも共同研究でもフットワークよく繋がってこられましたが、そのポイントは?

感覚的におもしろそうな人、一緒に研究をやってみたい人のところにまずは行ってみる、という感じでやってきたのですが、好奇心が最大のポイントでしょうね。やっぱり好奇心がないと研究はできないです。好奇心が湧き上がった時、直感を信じて動き出せるフットワークや、いろいろな立場の人たちと素直な気持ちでコミュニケーションが出来るといいように思います。今ならオンラインで世界中の人たちと繋がることができますし、可能性は無限に広がっています。

(取材/文・坂元 希美)

: 2024.07.07

: 2024.07.11