腸内細菌40兆個の代謝物質究明を支える技術開発

腸内細菌は私たちの体内にいる最も身近な「違う生物」だ。1960年代に腸内細菌の分類学が始まって以来、共生する生物の健康状態に大きな影響を与え、近年では様々な全身性の疾患にも関わることがわかってきた。遺伝子解析の技術革新によっておよそ1000種類で約40兆個も生息しているといわれる腸内細菌の全容が明らかになりつつある。しかし、腸内で叢(フローラ)を成しながらその中で誰が、どのように何をしているのかの詳細は究明の途上にある。その鍵になるのは、腸内細菌が産生する代謝物質とその相互作用を含めた培養と分析だ。

「腸内細菌叢のような複合微生物系において、生きている微生物それぞれの営みを観察してその機能を理解するには、多種多様な培養と分析をいかに短時間で行えるかが鍵であり、装置の技術開発と進化が不可欠です」と語る慶應義塾大学 先端生命科学研究所の福田真嗣特任教授に腸内細菌研究の最前線と未来について、お話を聞いた。

慶應義塾大学 先端生命科学研究所 福田 真嗣 特任教授

ゲノム解析で進化した腸内細菌研究

── 腸内細菌研究は長い歴史がありますが、現在はヘルスケアから疾患研究までホットな研究分野ですね。

日本では、1960年代に東京大学名誉教授の光岡知足先生が腸内細菌の分離・培養法の研究を開始されたのが腸内細菌学の始まりです。光岡先生は、様々な培地で腸内細菌を分離・培養して調べる手法を開発されましたが、残念ながら培養法では未だに培養できない腸内細菌がいるのも事実です。地上にいる環境微生物に至っては99%が未だ培養困難とも言われています。疾患の原因や人類に役立つ機能を持っていると思われる菌の存在がわかっても、培養困難であるがためにその全容がわからないという状況が続いていましたが、ゲノム解析技術の進化やそれに伴ったバイオインフォマティクスの発展により、腸内細菌も培養法ではなくゲノム解析手法により調べることでその全容が遺伝子レベルで解明されつつあります。腸内細菌が免疫系に影響することは以前からわかっていましたから、ゲノム研究者や情報科学研究者に加えて、免疫研究者が参入することで腸内細菌研究分野は飛躍的に発展しました。

── ゲノム解析で存在が証明され、次は腸内細菌がどんな働きをしているかというところに来たのですね。

私自身は学生時代から腸内細菌が作り出す代謝物質の研究を続けており、代謝物質こそが健康に関わる重要な因子だと考えてきました。腸内細菌は「ただそこにいる」だけでなく、腸内細菌の代謝反応によって作り出された化合物で人間の体と「やりとり」をします。そのため、便に含まれる腸内細菌が作り出した代謝物質の研究を続けてきたのですが、こういったアプローチでは腸内で起こった多様な出来事の結果しかわかりませんでした。つまり健康や疾患に関わる代謝物質を見つけることはできても、どの腸内細菌が何種類くらい、どんな順番で関わり合った結果その代謝物質が産生されたのかは類推の域を出なかったのです。複雑な腸内細菌叢において目的の代謝物質の産生経路を解明できれば、個々の腸内細菌の代謝の反応に介入するなどして代謝物質産生を制御し、健康維持や疾患予防に繋げられると考えているのですが、そのためには生きた腸内細菌を一つひとつ、あるいは数種類の複合系として観察しなければなりません。およそ1,000種類もある腸内細菌を様々な組み合わせで生きたまま調べるとなると、ハイスループットな技術がどうしても必要になると考えていました。そんな中、2015年にパンフレットでオンチップ社の製品に出会いました。On-chip Droplet Generatorを使えば、毎分25,000個(φ40μm作製時)で生成される液滴の中に腸内細菌を包埋すれば効率よく腸内細菌の代謝反応を観察できるのではないかと考えデモをさせてもらいましたが、当時は導入には至りませんでした。

その後、2017年にオンチップさん側から新製品のデモについて連絡をもらいました。おそらくいろいろな研究室に連絡をされていたとは思うのですが、何かご縁を感じましたね。2年を経てこちらも研究の方向性がかなり定まっていましたし、オンチップさんも微生物をターゲットにした技術開発が進んだのでしょう。この時はお互いにマッチする点が多くあったためOn-chip Droplet GeneratorとOn-chip SPiSを導入し、共同研究としてOn-chip Sortを貸し出していただきました。それ以来、装置についての要望をお伝えして意見交換をし、トライアルを繰り返してコミュニケーションを深め、今に至るまで様々なやりとりをさせていただいています。

腸内細菌研究を進歩させたドロップレット技術

── 2017年の再会以来、福田先生はどのような要望を出してこられたのでしょうか。

私の狙いはドロップレットの中で1種あるいは数種類の腸内細菌を生きた状態で増殖させ、その代謝反応を観察することで、腸内細菌の代謝反応やその相互作用を捉えることです。腸内細菌は嫌気性細菌であるため、そのインタラクションをドロップレットの中で再現するには嫌気性チャンバーの中での実験が不可欠なので、最初に装置を嫌気チャンバーの中に入れて操作できるようにしてほしいとリクエストしました。当時はゲノム解析の分野でドロップレットの技術は使われていましたが、微生物を封入して増殖させるような使い方はまだ少なかったと思うのでかなりの無理難題だったと思います。ですが、オンチップさんと一緒に試行錯誤した結果、遠隔操作をすることにより嫌気チャンバー内で稼働することが可能になりました。

1,000種にも及ぶ腸内細菌のインタラクションを調べるには、ドロップレットの作製技術や、その後の分析工程でもハイスループット/高度化は必須になりますから、いつも無理難題なリクエストをしていたと思います(笑)。ドロップレットをゲルにするのかエマルジョンにするのか、ドロップレットを集めてどのようにソートするのか、など、次々に要望を出しました。腸内細菌研究にとっていかに必要か、どういうゴールが見えているかというビジョンを共有し、コミュニケーションを取り合うことで装置の技術開発が進み、本技術を駆使することでその研究成果が徐々に出つつあるところです。

嫌気チャンバー内で装置を操作する様子

ドロップレットの分離とシングル分注の自動化でハイスループット化

── 2021101日には、新製品のOn-chip® Droplet Selectorが発売されます。

これから使わせてもらう予定なのですが、非常に期待しています。研究の中で菌をドロップレット中に包埋した後の分注速度が大きな課題になっていました。現状の装置でもできないわけではないのですが、非常に時間がかかります。菌は生き物ですから、なるべく時間を掛けずに短時間で分注したい。これは腸内細菌に限らず他の微生物を扱う時にも大きな課題になると思います。大量のドロップレットを作製してその中で代謝反応をさせるところまではできても、それを一つひとつウェルに分注するという工程がボトルネックになっています。On-chip Droplet Selector を使えば、96ウェルへの分注が10分になるため、従来の約10分の1に時間を短縮できます。これまで数日をかけて分注していたものが1日以内に収まる計算なので非常にありがたいです。微生物の代謝をより正確に評価できるようになりますし、時短によってコストも削減できます。ハイスループット化で価値ある情報をより多く、より安く得られることになるでしょう。

装置の技術開発は研究との二人三脚ですし、ステップバイステップで進んでいきます。何事もそうですが一歩進むごとに課題が生まれるもので、2017年には私自身もドロップレットの分注の高速化という課題は見えていませんでした。ビジョンを共有した人たちと共に歩むからこそ、ひとつずつ解決してまた先に進めるのだと思います。こうした技術開発の進歩が他の微生物研究や、別分野にも役立つものになっていくだろうと考えています。

「想い・行動・出会い」が研究を切り拓く

── 福田先生はどのようにして研究者の道に進まれたのでしょうか。

1990年に出版された(日本語訳は1993年)マイケル・クライトンの『ジュラシックパーク』を読んで、バイオテクノロジーというものに興味を持ちました。自分も恐竜を作りたいと思ったんです。今思えば発生工学の研究分野に注目したわけで、ある意味センスは良かったかなと思います(笑)。それでバイオテクノロジーを学べる農学部に入学したのですが、学部1年生の時に必修だった「生化学」の授業が難しくて、先生によく質問に行っていました。そのせいかなんだか気に入られて「研究やってみるか?」と言われて「はい、やります」と即答したんですよね。そこが微生物代謝の研究室だったんです。学生のころからずっと会社員にはなりたくないなと思っていましたが、絶対に研究者を目指す!という気持ちがあったわけでもありませんでした。ただ研究はとても面白かったので、偶然に導かれて20年以上も飽きずに腸内細菌の研究を続けています。

── これから研究の道に進む人にメッセージをお願いします。

①想い②行動③出会いの3つを意識してほしいと思っています。
私の「想い」は病気になりたくないという自分の願いです。病気になってしまったら、やりたいことがやれなくなってしまいますよね。やりたいことがやれない状況を絶対に作りたくなかったので、「腸内細菌を適切に制御すれば、多くの患者さんを救える」「多くの疾患の予防ができる」という全人類のQOLに関わる大きな目標を掲げました。「想い」は内に秘めているだけでは実は全然ダメで、その想いの元に「行動」をすることが重要です。目標に向かって研究をしたり、そのことを発信したり相談したり、協力者を探すというような行動に移すことで、必ず良い「出会い」が生まれます。専門家は視野が狭まってしまうことも多いので、私は学生や分野の違う人など、自分から見て「専門家ではない人」のやわらかい発想やアイデア、考え方に積極的に出会うことを大切にしています。研究者が一人で何か良いアイデアを思いついたとしても、おそらくそれは世界中で他の誰かが同じことを思いついている可能性が高いでしょう。誰もが簡単には思いつかないような、本当のブレイクスルーに繋がるようなアイデアが生まれるには、他者との出会いが必須だと思っています。想いを持って行動すれば不思議と良い出会いに恵まれますから、他の人のアイデアを知ったり、重ね合うことで生まれたアイデアこそが、世界初やオンリーワンになり得るのではないでしょうか。

オンチップさんとの関係もいま考えるとこの3つが重要だったと思います。2015年にパンフレットを見て連絡をしたのは私のアクションでした。最初はうまく繋がらなかったわけですが、2017年にオンチップさんの方からアクションを起こしてくれて再び出会うことができました。研究生活で出会う相手ってある意味結婚相手みたいなもので、運命の人が現れたと思った時に、いかに迅速に行動に移せるかが重要だと思っています。競合を調べて評価して、他社と比較してどちらがいいかを考えるよりも、想いを持って行動した結果オンチップさんと出会ったのだから、まずは一緒に知恵を振り絞って共に努力する方が、結果として時間を無駄にせず、強い推進力でゴールを目指せると考えています。

実験装置に関しては、私が素人でオンチップさんが専門家。素人だからこそ無理難題と知らずに遠慮なく要望を伝えることができ、その結果腸内細菌研究を推進する装置の開発が進みました。今度はわれわれが全力を尽くして良い研究成果に繋げ、世の中に貢献するというような「想い・行動・出会い」の正のループを連鎖させていきたいと思っています。これから研究の道に進む人たちも、自分の心からの「想い」を持ち、まずは「行動」してみてください。そうすれば必ず見てくれている人はいますので、良い「出会い」に繋がりますよ。

(取材/文・坂元 希美)

: 2024.07.05

: 2024.07.11