環境中に潜む病原細菌の効率的な分離・培養を可能にするドロップレット技術

2019年の末から始まった新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) の世界的な流行は、21世紀の人類に大きな影響を与えた。COVID-19は新興感染症のひとつで、人と動物と環境の接点で発生するとされており、今後も気候変動などによって新たな感染症が発生する恐れは常にあるのだ。国立感染症研究所ハンセン病研究センター感染制御部の吉田光範氏は、まだ伝播・感染経路や病態メカニズムなど多くが解明されていない感染症・ブルーリ潰瘍の起因菌である抗酸菌マイコバクテリウム・ウルセランス(Mycobacterium ulcerans)を題材にして研究している。環境中のM. ulceransは存在比率が非常に低く、分離・培養も困難であった。そこに活路を切り拓く可能性をもたらしたのが、株式会社オンチップ・バイオテクノロジーズのハイスループットなドロップレット技術だ。病原菌に対してどのようにドロップレット技術を用いていくのか、吉田氏にお話を伺った。

写真左 国立感染症研究所 吉田光範氏
写真右 国立感染症研究所 星野仁彦氏
国立感染症研究所 鈴木仁人氏 (※当日オンライン参加)

「顧みられない熱帯病」のひとつ、ブルーリ潰瘍を追う

── ハンセン病研究センターでのご研究について教えて下さい。

抗酸菌は結核菌群、ハンセン病の原因となるらい菌群、それ以外の非結核性抗酸菌の3つに大別されます。現在、抗酸菌属は約200種類が同定されていて、そのうち哺乳類に病気を起こすものは100種類ぐらいだといわれています。現在、日本では結核は先達たちの努力により患者数がかなり減っていますが、逆に非結核性抗酸菌による感染症は明確に増えています。菌によって症状は違いますし、ヒトに病気を起こす新種が毎年のように発見されていることもあり、今後も患者数は増加すると思われます。この非結核性抗酸菌が私の研究対象で、中でもブルーリ潰瘍という皮膚抗酸菌症を追っています。

ブルーリ潰瘍は1948年にオーストラリアのMacCallumらによってマイコバクテリウム・ウルセランスを起因菌とする無痛性の慢性皮膚潰瘍と報告されました。M. ulceransの出すmycolactoneという細胞外毒素によって難治性皮膚潰瘍を生じ、適切に治療をしなければ潰瘍が広がり後遺症を残すこともあります。WHO(世界保健機関)では、ブルーリ潰瘍をハンセン病など共に20の「顧みられない熱帯病(neglected tropical diseases: NTDs)」のひとつとして制圧目標にあげ、診断・治療・予防・研究に注力していくとしています。ブルーリ潰瘍はアフリカ、南北アメリカ、アジア、西太平洋の33か国で発症が報告され、日本でも年間数例程度ですが感染の報告があります。一方、アフリカ西部では患者数が特に多く、ガーナでは人口10万人あたり大体20人~150人、お隣のコートジボワールでは320人といわれています。M. ulceransのヒトへの感染様式がまだわかっていないことから、感染経路の遮断といった基本的な感染対策すら立てられず、治療における薬剤選択も科学的エビデンスに基づいたものというよりも経験に依っている部分が大きいのが現状です。

── ブルーリ潰瘍はどの地域でも発生し、感染するのですか。

世界中で発生していますが、アフリカ西部とオーストラリアで多発しています。特にオーストラリアでは、2015年頃からメルボルン近郊でブルーリ潰瘍患者が急増していることが報告されています。現在私は、アフリカ、オセアニア、そして日本を含む東アジアのM. ulcerans臨床分離株の比較ゲノム解析を行っていますが、アフリカとオーストラリアのM. ulceransは進化的距離が近く、遺伝子構成が似ていることがわかっています。一方、日本の臨床分離株は、アフリカやオーストラリアのものとはかなり遠いのです。なぜアフリカとオーストラリアのM. ulceransが似ているのかは謎ですが、こうした比較を通してM. ulceransの病原性や伝播・感染効率に重要な遺伝因子を明らかにできたらと考えています。もしかすると、今後何かしらの環境変化によってM. ulceransが変化したら、現在は患者が少ない地域でもアフリカ西部やオーストラリアのように患者が急増する可能性もゼロではないと思っています。

── 環境ということは、接触する可能性がある場所すべてということになりますね。

例えば私たちが環境調査を行なっている西アフリカ・ガーナ共和国を例にあげると、大きな河川の流域に点在する集落で患者が多発することが知られています。そうした集落では川や溜池、井戸の水を洗濯や飲み水といった生活水として利用していますが、実際にそれらの一部からM. ulceransのDNA断片が検出されています。とはいえ、本当に生きた菌がいるのか、いるとしたら水中に浮遊しているのか、それとも土や泥に付着しているのか。あるいは保菌動物や媒介生物がいるのかなどが、まだ全くわかっていません。そこで、川辺や池、湿地のような環境からのM. ulceransの培養・分離にドロップレット技術を用いようと考えました。具体的には、環境中の菌をOn-chip® Droplet Generatorによりシングルセルレベルでドロップレットに封入し、On-chip® Droplet Selectorを使ってM. ulceransが増殖したドロップレットだけを分取してこようという目論みです。

入手困難・成長に時間がかかる菌を育てられるドロップレット

── オンチップ社とドロップレット技術にはどのように出会われたのでしょう。

2019年のシングルセルゲノミクス研究会という研究会で、早稲田大学大学院先進理工学研究科の竹山晴子教授の研究室のスタッフが、ドロップレット技術について発表しておられたのを見て、ひょっとしたらM. ulceransの分離・培養に使えるかもしれないと思ったのです。抗酸菌は環境中から分離するのが難しく、特にM. ulceransは非常に困難なのですが、ドロップレットでの分離・培養は可能かもしれないと。そこで、同僚でM. ulceransの研究を一緒にやっている星野仁彦先生と一緒に竹山教授を訪ねて、ドロップレット技術を感染症の伝播・感染経路の解析に応用したいというお話をしたことがきっかけですね。その後、別の会社のドロップレット作製装置を導入したのですが、圧力が安定せずに均一な大きさのドロップレットをうまく作ることができずに困っていたところ、オンチップ社の装置がいいと聞きつけて、購入したという経緯です。

── なぜM. ulceransは分離・培養が難しいのでしょうか。

M. ulceransは環境中のどこに存在しているのかがまだ不明であり、捕まえるのがとても難しい菌です。先述のM. ulceransのDNA断片が検出される水においても、細菌叢における存在比率は極めて低いことが示唆されています。加えて、M. ulceransは増殖が極めて遅く、適した選択方法もないため、通常の方法で分離・培養しようとすると他の細菌に負けて生えてこないのです。臨床分離株については、所属部署の先輩が長い年月をかけて各国の菌株を収集していたお陰で研究ができていますが、本来は入手が難しい菌です。さらに、通常の抗酸菌培養法はM. ulceransに適しているとは言えず、実験で使える段階になるまでに1,2か月ほどかかってしまいます。

── どのような部分で抗酸菌とマッチすると確信を持たれましたか。

やはりシングルセルで扱えることです。ドロップレットの中に抗酸菌だけを入れて数ヶ月の長期間培養することができれば、環境中の一般細菌に栄養を取られずに育つことができますから。さらに竹山晴子教授の研究室で開発している、ドロップレットの中から目的の菌が含まれるものだけを選択して分取する技術もM. ulceransのように存在比率の低い病原菌の解析に応用することが可能だと考えています。現在は、増やした抗酸菌を特異的に選択する方法を作っている段階です。また、将来的には通常の培養法で増殖が難しい菌の培養条件の検討などにもドロップレット技術が使えるかもしれないと思っています。

── 他の抗酸菌研究者たちの間でもドロップレット技術は知られているものですか。

現時点では、抗酸菌研究者の多くは知らないと思います。先日、私と星野先生とでオーストラリアの研究者にドロップレットを使った研究のことを話して、ぜひいっしょにやりましょうという反応をもらいました。特にブルーリ潰瘍研究は狭い分野なので、分離・培養が難しいことも、実験がなかなか進まないこともみんな知っています。ブルーリ潰瘍研究者の多くが抱えている課題の解決にこのドロップレット技術が役立てば良いなと思っています。

On-chip Droplet Selector
On-chip® Droplet Selector

ドロップレット技術の初チャレンジが続く感染症分野

── 現在、どのように研究を進めておられますか。

抗酸菌という種に対してドロップレット技術で分離・培養できること、ゲノム解析ができることは既に確かめました。その後、On-chip® Droplet Selectorで目的の抗酸菌を選択するところまでを一つのプロトコールとして確立したいと考えています。

── 使い勝手などはいかがでしょうか。

オンチップ社の装置は非常に安定しているところがいいですね。ユーザーインターフェースもわかりやすく、非常に使い勝手がいいです。感染研内でドロップレット技術の一連の使い方を教えたことがあるのですが、シンプルに伝えることができたので、あらためて使いやすく設計されているのだなと実感しました。おそらくドロップレットの装置に触るのが初めてという方でも、すぐに使えるようになるのではないでしょうか。技術的にわからないことを問い合わせてもすぐにレスポンスがもらえますし、デフォルトで用意されていない使用方法にトライするときも綿密なやり取りをして機器の設定を提案して下さるので、ユーザーを大切にする会社だと思います。新しいチャレンジをする研究には、とても心強いですね

── 装置に対して、リクエストなどはありますか。

環境中の病原菌は存在比率が非常に小さく、10万分の1程度です。On-chip® Droplet Generatorでは1,000万単位のドロップレットを作製できるとのことなので、捕まえられる可能性が増えるとはいえ、もう少しほしいと感じます。そのために装置側にどういう改善があったらいいのか、具体的なことはわからないのですけれども、M. ulceransのようなものをより多く捕まえられるようになれば、と思います。また、ネガティブだったドロップレットを再び回収して培養に回す機能がありますが、存在比率が低い菌を扱っているからこそ、さらに良くなることを期待している機能です。

ちなみに私たちはOn-chip® Droplet Selectorの国内第一号機を導入しましたが、私たちは病原体を扱うのでやはり安全性を考えなければなりません。ドロップレットを作る時や分離するときにどうしてもエアロゾルが発生する可能性がありますので、GeneratorとSelectorは安全キャビネット内に設置して運用しており、エアロゾルを封じ込められることを確認しています。Selectorはかなり大きさがありますし、専用にしなければならないので特注品となりました。

── 感染研でオンチップ製品を使われること自体が、初チャレンジの連続なのですね。今後、他の病原菌や細菌等を研究する方にとっての指標になっていくかもしれません。

感染性へのリスク対応は世界的にも以前にも増して重要視されるようになっていますし、我々も率先して取り組まなくてはならないと考えています。

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On-chip® Droplet Selector

「研究者人生はいいぞ」の環境、そして偶然に導かれて感染研へ

── 研究者という道に進まれるきっかけは。

難しい質問ですが、育った環境が大きな要因の一つかなと思っています。私の高祖父母にあたる方々が教育熱心だったそうで、曽祖父世代から親族の多くが博士号を取っているという家で育ちました。小さい頃におじいちゃんの家に行くと、○○さんはこんな研究をしている、この本は親戚の△△さんが書いたんだよといった話を聞かされたものです。文系理系ジャンルも様々で、いろんな本がありました。祖父母や両親からは一度も研究者になれとは言われませんでしたが、研究者人生はいいぞと少しずつ刷り込まれていたのだと今では分かります。高校生の頃に得意だったのは国語や英語など文系科目ですが、興味を持っていたのは生物など理系科目。文理どちらを選択するか迷いましたが、いつか未知の生命現象を見つけたいという気持ちで理系を選択しました。大学時代の大半はのらりくらり遊んでいたのですが、周りが就職活動を始める時期になり、自分が本当に進みたい道をよく考えて大学院に進学しました。大学院では、出芽酵母をもちいた基礎研究に取り組みました。修士課程最初の研究室内の進捗報告会では、右も左もわからない自分の発表に対して、教授をはじめ先輩方と2時間以上も熱く議論したのをよく覚えています。そういう先輩方の研究に対する真摯な姿勢に影響されて、本格的に研究者の道を志すようになっていったのだと思います。

── なぜ感染症の研究に興味を持たれたのでしょうか。

学位取得が決まったお祝いにと、友人が食事に連れて行ってくれた先で、偶然に現所属に勤めていた先生と一緒になりました。雑談を交わすうちに、抗酸菌という菌を知り、抗酸菌症研究の現状や課題を聞かせていただきました。その方は、最近は全然若い人が入ってこないんだと嘆いておられたので、「じゃあ、僕が行きます」と言ったことが始まりでした。後日、ハンセン病研究センターを訪問して詳しい研究内容をお聞きし、自分が持っているスキルを鑑みて、抗酸菌研究をやってみようと心を決めました。そんな経緯があって感染研に就職しました。

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── 今後の展望を教えて下さい。

病原性・感染性がある菌に対してドロップレット技術を使っていくことは、先ほどお話ししたように安全面も含めて新しいチャレンジの連続になると思いますが、まずは抗酸菌に対象にその有効性を証明したいと考えています。感染研には細菌以外にも多様な微生物を対象にしている研究者が在籍しているため、ここで確立するノウハウは応用範囲が広いと思っています。より長期的な展望・希望としては、微生物研究の最初のステップである分離・培養ステップがこの技術によって格段に効率化できたらと思っています。また、環境中の有用微生物を効率的に取得できるようになれば、例えば創薬研究への展開もあり得ると思います。そうなれば、今まで見つからなかった多くのことが発見されるのではないでしょうか。

現在、新興感染症の多くが人と動物と環境の接点で発生する人獣共通感染症(人と動物の間でうつる感染症)であり、大きな脅威になっています。新型コロナウイルス感染症をはじめ、鳥インフルエンザ、サル痘、重症熱性血小板減少症候群なども一般に知られる機会が増えてきました。こうした感染症の集団発生やパンデミックでは種を超えた対策が必要となるため、「ワンヘルス・アプローチ」が重視されています。そのアプローチのひとつとして、ドロップレット技術が使われようになることを期待しています。

「DROPLET 2024」6月13日開催!

── オンチップ社では2回目となるユーザーミーティング「DROPLET 2024」を6月13日に開催します。先生は2年前の「DROPLET 2022」で講演をされましたが、どのような会でしたか。

前回はドロップレット技術を開発する立場の先生が多かった印象があります。私は開発された技術を組み合わせて感染症対策という現実問題に当てはめる側でしたので、ちょっと珍しい立場だったように思うのですが、いろんな方が質問をして下さり、とても活発な雰囲気で心地の良い会でした。次回も参加するつもりですが、私のように使う側の先生方がどんどん参加して、基礎技術を開発されている先生方にフィードバックするべきだと思います。

── 最後にドロップレット技術に興味がある方、病原菌や細菌を扱う若手研究者に向けてメッセージをお願いします。

ドロップレット技術を使った研究は、やっていること自体はシンプルですが、いろいろなことに応用が利くと思います。技術を作る側も使う側もみんなで盛り上げていければと思います。我々も感染症分野で使うための最初の一歩を踏み出したいと思いますし、それを見た他の研究者が自分たちもやってみよう、そのためにはこんなカスタマイズができるというように発展していければ素晴らしいですよね。何より、今まで捕まえられなかった生き物を捕まえられるようになるかもしれないという意味で、純粋にわくわくする研究ですから、ぜひ一緒にやりませんかと伝えたいです。

(取材/文・坂元 希美)

: 2024.07.08

: 2024.07.09